【イベントレポート】暮らしを育てる『島根の日常』 〜夫婦の暮らしで「隠岐」を感じる、島根のいいものを届けるお店〜

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2022年1月14日(金)、オンライン配信にて”暮らしを育てる『島根の日常』 〜夫婦の暮らしで「隠岐」を感じる、島根のいいものを届けるお店〜”を開催しました。

◎暮らしを育てる『島根の日常』を届けるシリーズについて

コロナ渦でそれぞれが考えた、自分の暮らしや家族との暮らし。
地方から首都圏に出てきた方で、地元という存在に対して改めて考え直したという方も少なくなかったのではないでしょうか。
出てきた当時と今では、時代の流れや自身の成長によって、変化したものもあるように思います。

今回の参加属性は関東圏からが4割、他にも関西・中国地方、海外はブラジルと色んな場所からのご参加がありました。
初めての参加が約6割、その他は2回以上参加してくださっているリピーターでした。
参加理由は、「隠岐」や「隠岐の島町」に興味があったからというの選択が8割とほとんど。その他、その土地での暮らしを知りたい方も多かったです。
関心のある内容としては、関係人口や二拠点といった部分で、どう関われるのかを自分なりにイベントを通じて想像しながらという様子もみられました。

◎ふるさと島根定住財団原早紀子さんから

ご自身も島根出身、毎回地元トークで島根への愛が伝わる紹介もしてくださる、ふるさと島根定住財団の原早紀子さん。
隠岐の風景をクイズ形式で紹介したり、土地の成り立ち以外にも根付いた人の営みも含めてジオパークに認定されているお話もありました。

遥か昔は島流しで雅な客人を迎えていたり、北前船のような買積みの北国廻船が来る場所でもあったりと、外からの来客も多かった歴史についても触れました。そして、ほっとかない・ほっとけないという人柄が島の人の特徴でもあり、その背景がここにもあるように思うと原さんはお話してくれました。

◎ご夫婦それぞれの隠岐、そして京見屋分店ができるまで

店主の晃さんは隠岐の島出身。
大人になり生まれ育った島を出て行った先は、大阪。その後、島に帰ることを決めて28歳で隠岐に戻りました。親族も仲良く近所で暮らしていると、楽しそうにお話してくれました。合わせた訳でもなく、晃さん3兄弟みんな島を出た後戻ってきたのだと言います。

一子さんは、25歳に教師として初めて決まった赴任先が隠岐でした。本土にいられると思っていたのでショックが大きかったと言います。
でも、隠岐へ向かうフェリーで嫌だなぁと思っていたなんとも言えない気持ちが、暮らしているうちに気付いたら無くなっていて、あれ?嫌じゃないって気付いた感覚を、当時を思い浮かべながらお話してくれました。

お祖父様のつくった京見屋本店から70年。3代目でもある晃さんは、最初は町の万屋のような役割を担うお店として本店とは別で京見屋分店を始めます。
その後、町に大型スーパーやホームセンター、ドラックストアもでき始めると、いつも来ていたお客さんも来なくなったと言います。
町の状況が変わり、この町に必要な場所としてどうあったらいいかを考えながら、人と人のご縁で助けてもらったり意見を聞いて形を変えながら、今の京見屋分店になっていきました。

◎島の日常に寄り添う分店さん

フェリーからおりて、港から徒歩10分のところに京見屋分店はあります。
ご近所さんからは「分店さん」と呼ばれているそうです。
お店の建物は地元の工務店や材木店さんに協力してもらいつくったのもあって、あたたかい空間が店内に広がっています。

置いている商品は、島というお客さんに来てもらうのには簡単ではない環境だからこそ、ここでしか買えないものを置けるように一般的なものもありつつ、自分が欲しいもの・良いと思うもの・島根由来のものなど、責任を持っておすすめできるものを置いているのだそうです。
商品のお話している姿には説得力しかなく、この真っ直ぐな”好き”は伝染すると視聴している方の多くが感じられたと思います。

◎お店でつながる、マチとヒトとモノ

お店の近くに「しまとしょ」というスペースがあります。もともとは別棟で古いアパートを倉庫として使っていた場所でしたが、使わなくなり空いていました。
わざわざ行ってコミュニケーションしたくなる、みんなが集まる場所があったらいいねという町の人たちの声に応える形でできたと言います。

他にも、愛の橋商店街にある木村屋さんのあんぱんと、京見屋分店のコーヒーとのコラボもしていたりと、商店街の人たちとの関わりも濃く、人と人のつながりでお店の日常ができているようでした。商店街・町・人・商品、お話の中に出てくる言葉の端々にそれぞれへの愛も感じました。

◎ビールセットと共に届いた、お手紙でも感じる分店さんの思い

特典付きのチケットになっていた、ビールセットをお話を聞きながら味わいました。
おきのしましまビールのデザインは、松江にあるあしたの為のデザインさんがしています。
▼あしたの為のデザイン
https://www.funokatsuhide.jp/

今回は隠岐水産高校の鯖缶とのセット。
京見屋分店さんだからできた特別なセットでご準備いただきました。
このセットがとても気に入って惜しみながら飲んだり食べたりしている方、視聴だけの方もいらしたこともあり、隠岐に行ってお店に来てくれた方には、このイベントに参加された特典でしましまビールを振舞ってくださるという嬉しいお話もいただきました。

【おきのしましまビール】
京見屋分店と地元の石見麦酒がコラボして作り上げた、オリジナルクラフトビールの『おきのしましまビール』。
地元のはっさくと隠岐の島のブランド米の”島の香り隠岐藻塩米”を使用しており、のど越しのよいさわやかなビールです。
ラベルデザインは、京見屋分店のご夫婦に飼われているコーギー犬のテンてんちょう。

【隠岐水産高校の缶詰】
隠岐の島の隠岐水産高校で、生徒たちが実習をかねて作っている缶詰。
実習船で水揚げしたものや、地元の天然塩「海士乃塩」を使ったオリジナルです。
ラベルには校章や生徒たちの写真もあり、あたたかみも感じます。
これが、地元でも見つけたらすぐ無くなってしまうほどの人気というレアな一品。

◎参加者さんからの質問、京見屋分店さんより答えていただきました!

・次に出そうとしているビールはあるの?
ビールはまだ未定ですが、今回のしましまビールに使った八朔の皮ではなく、果実を使ってサワーを作ってもらってるそうです。八朔サワーが次の目玉になりそうです。

・隠岐に移住した方と先住の方との関係は?
お客さんも外からの人が多い隠岐。人口が減っているので昔から外との交流で地域が成り立ってるという背景もあると晃さんは言います。
京見屋分店でも様々なイベントが開催されていますが、持ち込みがほとんど。
楽しんでもらえる、自己表現ができる場としてお店を提供し、それに地元の人も引っ張られて楽しむという循環が生まれているそうです。

・島を出たいと思ったのは、どんな良さに気付けなかったから?
社会情勢の動きが、バブル前夜という時代背景から大学もない島から出るしかないというような流れだったと晃さんは言います。ご自身も島に対して当時は、同じ人間関係の中で変わりたいけど変われない苦しさのようなものがあったのだそうです。
でも今は、みんなが自分を知ってくれている安心感や、かっこつける必要がなく等身大でいられるのが心地いいとお話していました。

◎渡ってしまうと近いよ、隠岐の島

本土から海を渡ってしまうと近いなと思える、知ってる人が増えると会いに行く人が増えると、よりそれを感じられるようになる…こんな風に隠岐の島のことをご夫婦は表現していました。
一子さんが海を渡って隠岐で生活するまでのストーリーがあるように、これから訪れる方にもそれぞれのストーリーができていく場所なんだろうなと想像させられました。

隠岐の島の人の特徴でもある 「ほっとけない・ほっとかない」代表のような京見屋分店。
外から来た皆さんを包み込んで見守りながらも、一緒に伴走してくれる場所。
このシリーズでも、”何か島根に関わりたい”という思いを大事に伴走できる形でこれから取り組んでいきたいと思いました。

この記事を書いた人