【レポート】Go Beyond My Comfort Vol.2東南アジア・ベトナムのまちづくり視察〜はじまり商店街 共同代表くまがいけんすけの「リアルな世界にダイブし、未来を予測する旅」・後編〜

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アフリカ・ウガンダへの刺激的な旅から約2月半。はじまり商店街の共同代表・くまがいけんすけは、再び日本を飛び立った。今回の目的地は、東南アジア・ベトナムだ。2022年12月15日から19日までの5日間にわたる旅でくまがいが感じた「未来」とは。旅を振り返りながら、くまがいの視点で記していく。今回は3日目からの「後編」をお届け。

盛り上がる現地のカルチャーイベント

3日目の朝は旧市街地を1人で散歩した。露店があったり、少し汚い川があったり、バイクがところ狭しと走っていたり、いわゆる「東南アジア」のイメージに近い雑多な雰囲気の中を歩く。そんな街中にも、外国人用の投資物件と思われるしっかりとしたビルやマンションが建てられていた。

この日の夜はまたしてもanettaiの方と共に「Pizza 4P’s」という日本人のオーナーが経営し、ベトナム国内で20店舗以上展開する大人気店ピザチェーン店で夕食をとった。

お店を出た後は、バイクに乗り、「RAMEN CITI CLUB MEETS CHRISTMAS」なるイベントに出向いた。深夜0時から3時まで開催されているイベントで、現地に店を構える日本のラーメン屋が主体となって行われているラーメンと音楽が一体化したイベントだった。ベトナムはfacebookがカルチャーシーンの主体となっているようで、このイベントも主にfacebookで告知が行われていたのだが、はじまり商店街のイベントページよりもいいねが付いていた。僕らが会場に着いた頃にはラーメンは完売してしまっていたので、音楽を聞きながらフェスのように楽しく過ごした。ベトナムのカルチャーシーンの賑わいの一端を感じる一夜であった。

著名建築家の処女作を訪ねて

4日目はランチがてら、ベトナムの著名な建築家であるヴォ・チョン・ギア氏の処女作『ウィンド・アンド・ウォーター・カフェ』(2006)を訪れた。彼はベトナムを拠点に国際的に活動する建築設計事務所「ヴォ・チョン・ギア・アーキテクツ(現 VTN アーキテクツ)」の主宰者であり、東京大学大学院で内藤廣に建築を学んだ後、帰国後の2006年にホーチミンにて同設計事務所を設立したという。

『ウィンド・アンド・ウォーター・カフェ』はホーチミンから車で1時間弱(約30キロ)ほどのビンズン省にあるので、行きは例に漏れず、Grabでタクシーを手配して向かった。

屋根や装飾に竹を用いたこのカフェは、ヴォ・チョン・ギアの一連の「竹建築」の始まりとも言われているそうだ。聞いたところによると、ベトナムの竹は日本よりもしなりがあるらしく、だからこそ実現できるおしゃれな造りなんだとか。建築にあまり詳しくはないなりにも、ベトナムらしさを感じる建物だった。

郊外からの帰り道

そしてこの帰り道に、ちょっとしたトラブルがあった。行きは難なくGrabでタクシーをゲットできたものの、ホーチミン市街地から小一時間離れたビンズンでは、Grabを使ってもなかなかタクシーやバイクを呼ぶことができなかったのだ。

日本でも、例えばタクシーアプリの「GO」を使っても郊外や田舎ではすぐにタクシーを呼べないのと同じことで、よく考えたら当たり前のことではあるのだけれど、帰路の目途が立たない状況に少し苛立った僕はGrab画面を連打してしまった。すると、オーダーの即時キャンセルを繰り返した形となり、Grabのアカウントを凍結されてしまったのだ。アカウントはSIMカードの電話番号と紐づいているため、この旅の間はもうGrabは使えない。大ピンチだ。

慌ててもう1つの配車アプリをダウンロードしたけれど、こちらでも一向にタクシーはやってこない。予想外の足止めに「マジかよ」と言葉が漏れた。夕方の気配が近づいてきたので何とかしなければと思い、原点回帰して幹線道路でタクシーを探す。

ところが市街地から帰る車両ばかりで、なかなかタクシーは捕まらない。そうこうしていると、Grabの帽子を被ったセーオムのドライバーがものすごい勢いで営業をかけてきた。彼が提示する金額を聞いた僕は、「これはふっかけられているな」と思い、話には応じなかった。しかし彼は必死に引き下がって来る。話し続ける彼の言葉をよくよく聞くと、行きに払ったのと同等の金額を提示していて、完全に僕の勘違いだったのだ。誤解が溶けたらあっという間。「ソーリーソーリー!」と言うと、向こうも「ほら乗れよっ!」というノリで、僕は彼の後ろにまたがった。

ホッとしたのも束の間、バイクの後ろで揺られる30キロ弱の道はなかなかにキツイ。市街地に近づけば近づくほど道は混んでいるし、相棒の運転はお世辞にも丁寧とは言えない。そんなちょっぴり刺激的なドライブを経て、何とか日が沈む前にホーチミンの街中に帰って来ることができた。

道でタクシーを捕まえるなんて、ほんのひと昔前までは当たり前のことだった。けれど資本主義的な価値観のなかで、効率化を追い求め続けた結果、人間はそういった「面倒くささ」に対応できなくなっていることに改めて気付かされた。そしてこういう状況になった時ほど、「考える」ということが問われるのだと思う。僕が初めて旅をしたときもトラブルなんてものは付き物だったし、そういう時ほど本気で自分自身と会話して、成長することができたという自負がある。そうやって培ってきた経験のおかげか、今ではいろいろな課題に対処できるようにはなったけれど、今回のGrab事件は、久しぶりにちょっとした焦りを感じた出来事だった。

ギリギリまで満喫したベトナム最後の夜

最終日はカフェでエッグコーヒーを飲みながら仕事をした後、ホーチミン市内にあるヴォ・チョン・ギア・アーキテクツの元オフィスに向かった。現在はIT企業が入居している。離れたところから見ると、建物から植物が生えているかのようなデザインで、その植物さえも、建築の一部として捉えているように思えた。

その後はコンテナ風の建物がロの字に囲まれた3階建てのオシャレな商業施設でシーシャを吸いながら仕事をし、夜はロコモコのようなベトナム料理を食べて後は帰国を待つだけ。のつもりでいたが、anettaiの方々から連絡があり、出発2時間前から急遽フットサルをして、ひと汗かいてからベトナムを後にした。

肌で感じた高度経済成長のムード

今回の旅で得た1番の収穫は、やはり高度経済成長期のムードを肌で感じられたことだと思う。次から次へと建てられる高層ビル。ビルを建てる人々のためだけに作られる仮食堂。通勤のバイクで溢れかえる朝の道。日本にはきっともう訪れない、文化や経済が発展していく途上の「まだまだ行くぜ」という空気感—。より上へ上へと伸びていく建設途中のビルから、資本主義の価値観がにじみ出ているように感じた。

そしてそんなムードが漂う街だからこそ、自分たちが入り込む余地があるのではないかと思ったのだ。ウガンダへの旅では、「主体性を育む文化を作る」という課題において、発展途上国と日本に共通性を見出し、「はじまり商店街は海外でも仕事ができる」という漠然とした感覚を掴んだ。

それからはプロダクトやサービスを作ることばかり考えていたけれど、ベトナムを訪れたことで、「海外で活躍している日系企業とタッグを組む」という新たな道に気が付いた。鉄道会社であったり、デベロッパーであったり、そういった企業と組むことで、はじまり商店街のサービスをそのまま海外でも展開できるのではないか。「0→1で作らなくていい」という気付きは、はじまり商店街が未来に向かって進んでいくうえで、とても大事な一歩になると思う。

「インターネット的」な世界で、リアルを見ることの重要さ

2001年に出版された糸井重里氏の著書『インターネット的』では、リアルな世界が「インターネット的」になっていくことが予言かのように記されている。「インターネット的」な世界の特徴として、「シェア(共有)」、「フラット(公平)」、「リンク(繋がり)」、そして「グローバル」の4つが挙げられているが、今回の旅で僕が使っていた配車アプリも、テクノロジーの発展とインターネットの普及によって、国境を越えてもフラットにリアルな情報にリンクすることができるようになった良い例だろう。

先進国と遜色ないクラフト品についてもそうだ。現代ではインターネットさえあれば、アルファベットにハッシュタグを付けて検索をかけ、欲しい情報を簡単にタイムリーに手に入れることができる。そうしてグローバルにシェアされた情報にフラットにリンクできることで、ベトナムの作り手たちもレベルの高いものづくりを可能にしているのだろう。

そして世界はこれからもさらに、「インターネット的」になっていく。そしてそんな世界のなかで未来を掴み取るためには、インターネットの中にある机上の世界と現実をすり合わせる作業を欠かしてはならないと僕は思う。とりわけ「グローバル」のリアルは、実際に国境を越え、現地に足を運ばなければ、インターネットの中に広がる全体感を掴むことができない。

インターネットとリアルをすり合わせることで、「インターネット的」になっていく世界の未来を予測する力を得ることができると思うのだ。そうやって少しずつ、予測する未来の精度を上げていく。なぜなら未来を創るのが、僕たちはじまり商店街の仕事だからだ。

「生き方」の狩猟採集時代へ

より広い視点でみると、僕たちが目指すべきところは、人々の移動を誘発することで、農耕社会より前の世界—狩猟採集時代―をもう一度作り直すことではないかという感覚がある。というのも資本主義社会は、農耕社会時代に定住というものが始まったがゆえに、富を得るものが生まれ、格差が生まれ、「労働」が生まれたことに起因する。資本主義によって社会が発達したことは言わずもがなだが、資本主義的価値観が蔓延し、構造上格差が広がり続けるこの社会で人間が幸せになったかと聞かれると、僕は首を縦に振ることができない。

安定することが日常になってしまった現代社会では、どうしたって人は変化、そしてまだ見ぬ未来に恐れを抱く。一方で狩猟採集時代は、食糧を得るため、つまり生きるために移動をすることが当たり前で、日常は変わりゆくものだった。

では「食」が満たされている現代社会では、人々は何を求めて移動をするのか。それは「自分の生き方」ではないだろうか。「生き方」を求めて移動することで魂が磨かれ、「人間」として真に満たされる。食糧ではなく「自分の生き方」を求めて移動をする「生き方の狩猟採集時代」がやってくる。それが、僕がこの旅を通してみた未来である。

何よりその「移動」は、主体的であることが重要だ。そして僕たちはじまり商店街は、人々が自分の生き方を探すための「主体的な移動」を誘発することによって、魂が廃れていくような現代の社会課題へ一つの有効なアプローチを提案できているのではと、自分たちのサービスに改めて確信を持つことができた。

僕自身も、今回の旅で主体的に移動をしたことで、ベトナムで密度の濃い時間を過ごし、自分の生き方のヒントを得た。未来を知るために現地に足を運ぶ重要性を改めて感じ、もっと世界を見たいという気持ちが強くなっている。

今、世界はどうなっているのか。そして、未来はどうなっていくのか。それを知るために僕はこれからも何度だって国境を越え、ひいては自分のコンフォートゾーンを超えて、未来のヒントを探し続けていこうと思う。

文/橋本彩香

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